我が国におけるプライバシーの権利の生成及びその保障

新保 史生

1. 我が国におけるプライバシーの権利の生成 

 わが国にプライバシーの権利を最初に紹介したのは末延三次博士であると言われている。末延博士は、1935年『英米法における秘密の保護』の論文を発表した。プライバシーの権利がわが国で本格的に論じられるようになったのは、60年代に入ってからであり、1962年、戒能通孝ー伊藤正己編による『プライヴァシー研究』(日本評論新社)が出版されてからである。
 プライバシーという言葉が急速に有名になったのが「『宴のあと』事件」判決(東京地判昭和39年9月28日)である。
 この事件の概要は、三島由紀夫の小説『宴のあと』が、プライバシーを侵害したとして、 原告有田八郎氏(元外務大臣であり、1959年の東京都知事選の立候補者)が、三島由紀夫氏と出版元の新潮社を被告として提起した民事訴訟である。この事件判決は、「私生活をみだりに公開されないという法的保障ないし権利」としてのプライバシーの権利を承認した。そして、プライバシーの侵害による不法行為の成立要件として『宴のあと』事件判決は、(一)公開された内容が私生活の事実またはそれらしく受けとられるおそれのある事柄であること(二)一般人の感受性を基準にして当該私人の立場に立った場合公開を欲しないであろうと認められること(三)一般の人々に未だ知られない事柄であること。その他、被害者が公開により不快、不安の念を覚えることを挙げているほか、表現の自由とプライバシーの関係、公人とプライバシーの関係などについても判断を下している。

2.プライバシーの権利の根拠規定及びその対象

 わが国において憲法上、いかなる規定を根拠にプライバシーの権利が保障されていると考えられているであろうか。プライバシーの権利は幸福追求の権利の一部を構成するものとして考えられるため、終局的には、憲法一三条の個人の尊重・幸福追求の権利の規定をよりどころとしている。また一三条は次に挙げる条項が妥当しない場合に補充的に妥当するとも考えられる。そして、プライバシー保護の直接的根拠規定としては、一九条(思想・良心の自由)、二一条一項(表現の自由)、二一条二項(検閲の禁止・通信の秘密の保障)、三一条(適法手続きの保障)、三五条(住居・捜査・押収に対する保障)、三八条一項(不利益な供述の強要の禁止)などが挙げられる。
 では次に、どのような保護法益がその対象になるのか、公法・私法両分野において、考えられる事項を挙げたいと思う。
 プライバシーの権利は、当初不法行為上の観念として登場し、私生活の保護と関わるものとして把握されていたため、主として私法の分野における保護法益がプライバシーの保護法益として考えられていた。そこで、まず始めに、主として私法の分野におけるプライバシーの保護法益として考えられるものを列挙すると、肖像権の侵害、過去の経歴(前科および犯罪経歴・病歴等)の暴露、信書の開被、電信・電話の盗聴、私生活を暴露した記事や非難中傷などが考えられる。         
 次に、公法の分野におけるプライバシーの保護法益として考えられるのは、刑法上の保護法益、そして、現在の高度情報化社会において、国の行政機関、地方公共団体、そして特殊法人などによる、個人情報のコンピュータ処理に関しての保護法益であろう。
 刑法上の保護法益についてであるが、公安事件に関するものと、刑事捜査に関するものに大別できる。では、それぞれ具体的にどのような行為が保護法益として考えられるだろうか。
 公安事件に関しては、電信・電話の盗聴、思想調査としての不当な家宅捜査、指紋の採取、尾行、警察官の職務執行による不必要な立入調査、適法手続きに反する人身の自由の侵害などが考えられる。
 刑事捜査に関しては、適法手続に反する住居への侵入・捜査・押収および不利益な供述の強要、マスコミの取材源の秘匿などが考えられる。              
 次に、行政機関等による個人情報のコンピュータ処理に関しての保護法益であるが、高度情報化社会の進展に伴い、公権力によるプライバシーの侵害という問題が大きくなりつつある。現代国家は、教育福祉、保健衛生などの各分野における行政サービスを国民に積極的に提供するために、その基礎資料として個人情報情報を大量に収集・蓄積・利用せざるをえなくなっており、行政機関が保有する国民や住民に関する情報量も飛躍的に増大する傾向にある。行政機関が保有するさまざまな個人情報とプライバシー保護との関係は、現代のプライバシー問題における最重要課題の一つであるといえるであろう。個人情報のコンピュータ処理に際してどのような情報を入力するか、そしてどのように利用するのか。その情報の閲覧そして訂正や削除を請求する権利。行政機関機関相互の情報の提供の程度とその方法、などが、行政機関による個人情報の収集・利用等に関する保護法益であろう。        

3. 情報コントロール権としてのプライバシーの権利

 1890年、ハーバード・ロー・レビューにウォーレン・ブランダイス(S.D.Warren&L.D.Brandeis)によって発表された論文、『The Right to Privacy』の中で述べられたプライバシーの定義「the right to be let alone 」(一人で居させてもらいたいという権利)により、プライバシーの権利は、不法行為上の観念として登場した。この定義に見られるような古典的なプライバシー権の定義は「静穏のプライバシー」に最も近い消極的なものであるといえる。
 しかし、プライバシーの概念が、静穏な状態から自己情報の管理、そして制御というより積極的な概念へと変移していったため、ウォーレン・ブランダイス流の古典的定義は現代積極国家において個人のプライバシーを保護しようとするとき、それは無力なものであると考えられるようになった。
 例えば、前述の『宴のあと』事件判決においては、「私生活」の「公開」に際してプライバシーを「私生活をみだりに公開されないという法的保障」として捉えているが、この段階では、表現の自由との調整のあり方が議論の的となっている。しかし、以上のような捉え方では「公開」以前の段階におけるプライバシーの権利侵害に対する問題はどうなるのかという問題が残る。
 そこで、新たに包括的定義として登場してきた新しい定義が「自己についての情報をコントロールする権利」「個人に関する情報の流れをコントロールする権利  (individual's right to control the circulation of information relating )」 または、「自己情報コントロール権」である。この定義は日本を含め、諸外国においても承認されている状況にあるということができる。よってプライバシー権は「自己情報コントロール権」と定義づけることができると考えられるのである。
 「自己情報コントロール権」としてプライバシーの権利が捉えられるようになった背景には、急激に進行し始めた「情報化社会」「データバンク社会」というものがあるのである。 

 

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