わが国におけるプライバシー関係判例の変遷を、プライバシーの権利の法的性格と共に考えていきたい。
プライバシーの権利は「ひとりで居させてもらいたい権利」や、「私生活をみだりに公開されないという法的保障ないし権利」というように、私的事柄について不当に干渉されないというような、憲法第一三条後段の幸福追及の権利に含まれる人格権にその基礎をおく自由権的権利を有しているといえる。そこで、まず、自由権的性格を有するするもので、かつ、肖像権侵害に関する諸判例について検証していきたい。
わが国で最初にプライバシーの権利性を認めたとされるのが「『宴のあと』事件」判決であり、この判決によりプライバシーの権利が一般的に認められたといえるが、この判決の直前の「大阪証券労組保安阻止デモ事件」判決(大阪高判昭和39年5月30日)は「国民の私生活の自由が国家権力に対して保障されていることを知ることができる。ここからプライバシーの権利を導き出すことができるであろうが、もとより無制限なものではない。公共の福祉のために必要であると認められるときに相当な制限を受けることは、憲法第一三条の規定に照らしても明らかである。」とし、憲法第一三条が国家権力との関係で、プライバシーの権利を認める趣旨であることを承認した。
続いて、「田町電車区入浴事件」東京地裁判決(東京地判昭和40年3月8日)は「肖像権はプライバシーの権利の一種」とし、そして、同事件控訴審判決(東京高判昭和43年1月26日)は、「わが国において、肖像権、プライバシーの権利は実定法上、確立されていないが、憲法第一三条の一内容として、承諾なしに写真撮影されないこと、これをみだりに公表されないことを内容とする国民の自由及び幸福追及の権利に内包されるものと解される」としたのである。
さらに、憲法上の一つの独立した権利としてのプライバシーの権利の可能性とその構成のあり方が問われることとなった判決がある。「京都府学連事件」判決(最高(大)昭和44年12月24日)である。
この判決は、捜査の手段としての写真撮影と肖像権の関係について述べた最初の最高裁大法廷判決であり、判旨は「憲法第一三条は国民の私生活上の自由が、警察権等の国家権力の行使に対しても保護されるべきことを規定しているものということができる。そして、個人の私生活上の自由の一つとして、何人も、その承諾なしに、みだりにその容ぼう・姿態(以下「容ぼう等」という。)を撮影されない自由を有するものというべきである。これを肖像権と称するかどうかは別として、少なくとも、警察官が正当な理由もないのに、個人の容ぼう等を撮影することは、憲法第一三条の趣旨に反し、許されないものといわなければならない。」と述べ、憲法第一三条を根拠として実質的に肖像権を承認したところに憲法的意義が認められる。
また、この判決に先立ち、直接プライバシーの権利に触れたものではないが、この判決に大きな影響を与えたものとされているのが「京都教祖公務執行妨害撮影事件」判決(大阪高昭和40年3月30日)であり、判旨は「いわゆる肖像権について、人は、その意思に反しみだりに容ぼうを撮影されない自由を有することは、憲法第一三条の保障する国民の自由の一内容であると解し得られるが、」と述べている。
「京都府学連」事件の最高裁判決は、「何人もその承諾なしに、みだりにその容ぼう等を撮影されない自由が,憲法第一三条に含まれる」ことを明らかにし、また、憲法第一三条を根拠として実質的に肖像権を承認した判決であるといってよい。その後、プライバシーの権利はより積極的なものへと発展していくことになる。そこで、次にいわゆる個人情報と呼ばれるものと、プライバシーの関係において重要な意味を持つ諸判例について検証していきたい。
まず最初に、弁護士会からの前科等の照会が個人のプライバシーを侵すことになるか否かを争った最初の事例である、「弁護士法二三条の二に基づく前科および犯罪経歴照会」事件(最高昭和56年4月14日)についてである。
事実の概要は以下のごとくである。被上告人(原告)は、勤務していた自動車教習所を解雇され、自動車教習所に対して地位保全の仮処分の申請をしていた。自動車教習所の委任を受けた猪野愈弁護士は、弁護士法二三条の二に基づき、所属する京都弁護士会を介し京都市伏見区役所に、被上告人の前科および犯罪経歴を照会した。同区役所は、同市中京区役所にこれを回付し、その照会文書には照会を必要とする事由として、「中央労働委員会、京都地方裁判所に提出するため」との記載があった。これに応じて、中京区長は前科および犯罪経歴のすべてを報告した。弁護士を通して被上告人の前科を知った自動車教習所は、中労委、京都地裁の構内で、その前科を適示し、これにより被上告人の予備的解雇を通告したというものである。
判旨は以下のとおりである。「前科及び犯罪経歴(以下「前科等」という。)は人の名誉、信用に直接関わる事項であり、前科等のある者もこれをみだりに公開されないという法律上の保護に値する利益をゆうする。弁護士法二三条の二に基づく前科等の照会については格別の慎重さが要求されるが、本件において、照会文書中に照会を必要とする事由としては『中央労働委員会、京都地方裁判所に提出するため』との記載があったにすぎないのに、漫然と弁護士会の照会に応じ、犯罪の種類、軽重を問わず、前科等のすべてを報告することは、公権力の違法な行使にあたる」としている。この事件は民事紛争であるため、憲法の人権としてのプライバシーの権利が争われた訳ではないが、行政機関が保有する個人情報の公開とプライバシーの侵害事例として重要な判決とされており、また、伊藤正己裁判官の補足意見はこの現代的な課題について、簡にして要を得た意見であるとされている。よって、この補足意見の一部を紹介したいと思う。すなわち、伊藤正己裁判官は、「他人に知られたくない個人の情報は、それがたとえ真実に合致するものであっても、その者のプライバシーとして法律上の保護を受け、これをみだりに公開することは許されず、違法に他人のプライバシーを侵害することは不法行為を構成するものといわなければならない。このことは私人による公開であっても、国や地方公共団体による公開であっても変わるところはない。国または地方公共団体においては、行政上の要請など公益上の必要性から個人の情報を収集保管することがますます増大しているのであるが、それと同時に、収集された情報がみだりに公開されてプライバシーが侵害されたりすることのないように情報の管理を厳にする必要も高まっているといってよい。近時、国又は地方公共団体の保管する情報について、それを広く公開することに対する要求もつよまってきている。しかし、このことも個人のプライバシーの重要性を減退せしめるものではなく、個人の秘密に属する情報を保管する機関には、プライバシーを侵害しないよう格別に慎重な配慮が求められるのである。」と述べていた。
次に、この判決以降の注目される判決としてあげられるのは「在日台湾元軍属身元調査票訂正請求」事件(東京地判昭和59年10月30日)、「在日韓国人指紋押捺拒否」事件(東京高判昭和61年8月25日)、そして、「ノンフィクション『逆転』」事件(東京高判平1年9月5日)がある。
「在日韓国人指紋押捺拒否」事件の事実の概要は、被告人は、戦前に来日して以来、日本で生計を営む在日韓国人である。被告側は指紋押捺制度を支える立法事実の正当性や必要性を問題にした上で、同制度は個人の尊厳を規定した憲法第一三条、国際人権規約B規約7条違反であると主張したというものである。
同事件判決は、控訴棄却となったが、地裁判決において「指紋が個人を識別する身体的特徴であることから、一個のプライバシーをしてみだりに指紋をとられない権利が私生活上の自由として、憲法第一三条の保障を受ける」としていた。