1996年通信品位法

Communications Decency Act of 1996

違憲判決の要旨


RENO, ATTORNEY GENERAL OF THE UNITED STATES, et al. v. AMERICAN CIVIL LIBERTIES UNION et al.

appeal from the united states district court for the eastern district of pennsylvania No.96-511. Argued March 19, 1997 Decided June 26, 1997


事実の概要

 1996年通信品位法(CDA又はAct)の2つの規定は、何百万もの人々が「サイバースペース」内において相互に通信することが可能で、世界中の膨大な量の情報へのアクセスが可能な、コンピュータが相互に接続された国際的ネットワークであるインターネット上における有害な素材から、未成年者を保護することを目的として制定された。Title 47 U.S.C.A.§223(a)(1)(B)(U)(Supp.1997)は、18歳未満の者に対して「故意」に「猥褻(obscene)な又は品位に欠ける(indecent)」通信の送信を、犯罪行為であるとし、§223(d)は、「現在の社会基準に照らし合わせて、その内容が明らかに不快である表現で、性的又は排泄の行為又はその器官を、描写又は記述」した通信を、18歳未満の者に対して、「故意に」送信又は表示することを、禁じている。原告は、§§223(a)及び223(d)は、違憲であるとして訴訟を提起した。連邦地裁の3名の判事は、同法施行の差し止め命令を下した。政府は、通信品位法の規定が、その広範さ及び曖昧さにより、修正第1条及び修正第5条を侵害するものであるとした判決は誤りであるとして、連邦最高裁に上告した。


主文 
 通信品位法の「品位に欠ける通信(indecent transmission)」及び「明らかに不快な表示(patently offensive display)」という規定は、修正第1条により保護される「表現の自由」を侵害するものであり、連邦地裁が指摘した、修正第5条デュー・プロセス条項違反については、通信品位法の規定は、修正第1条に照らし合わせて、明らかに曖昧な規定ではあるが、修正第5条にまで達する問題ではない。


スティーブンズ(Stevens)判事の法廷意見
 法廷意見は、まずはじめに、連邦地裁が行った、インターネットの性質や特徴、明らかに性的な素材の利用可能性、インターネットにおける通信を行う者の年齢確認に関する詳細な事実認定の要約を述べている。

インターネット
 インターネットは、コンピュータが相互に接続された国際的なネットワークである。その起源は、軍、国防関係機関、国防関係の研究を行っている大学が、戦争によってネットワークの一部が破壊されても、複数のチャンネルを有することによって、互いに通信を行うことを可能とするために開発された、1969年のARPANETと呼ばれる軍事用プログラムである。ARPANETはもはや存在しないが、現在では何百万もの人々が、互いに通信し、世界中から膨大な量の情報に接続する民間人のネットワークの先例となった。
 インターネットは無類の発展を遂げ、ホスト・コンピュータの数は、1981年に300から始まり、1996年には、940万にものぼるのである。約60パーセントのホスト・コンピュータがアメリカに設置されており、4千万もの人々がインターネットを利用しており、1999年にはその数は2億に達すると考えられている。
 個人は様々な場所からインターネットへと接続することが可能であり、大部分の大学は学生や職員の接続を可能とし、企業は、企業内ネットワークを通して従業員の接続を可能とし、多くの地域団体や図書館は、自由な接続を可能としている。そして、アメリカ・オンライン、コンピュ・サーブ、マイクロソフト・ネットワーク等の、商業ネットからも接続可能で、商業ネットには、1200万人の人々が加入している。
 インターネットへ接続する者は誰でも、様々な通信の恩恵にあずかることができ、それらは、常に進化しているため正確に分類することは難しいが、確実なものとして、電子メール(e-mail)、自動メーリング・リスト・サービス(mail exploders又は、時としてlistservsとも呼ばれる)、ニュース・グループ、チャット・ルーム、そして、ワールド・ワイド・ウェブ(WWW)である。それらすべては、文字の転送が行われ、大部分は、音、映像、動画の転送が可能である。一連の通信手段によって、「サイバースペース」というユニークな媒体が構成されており、特定の地上の一定地点に位置していないのに関わらず、誰しもが、世界中どこからでも、インターネットへの接続が可能なのである。
 電子メールは、短い手紙や通常の手紙に類似した電子メッセージを、各個人が他の人へ又はグループに送ることができるものである。メッセージは電子的に貯蔵され、時には「メイル・ボックス」に保存される。メイリング・リスト・サービスは、一種の電子メールグループである。加入者が、共有の電子メールアドレスにメッセージを送ると、グループ内の他の加入者に送られるというものである。ニュースグループも、それに参加する人々のグループで構成されるが、ニュースグループへの投稿もまた、他の加入者によって読まれるのである。チャット・ルームに入れば、リアル・タイムでの通信ができ、言い換えれば、メッセージを打ち込めば即座に、もう一方のコンピュータ画面にメッセージが表示されるのである。連邦地裁は、「何千何万もの利用者が、広範囲にわたる様々な問題について議論を行っており」それは、「インターネットの内実は、人間の思考と何ら異なるものではないと言っても、過言ではないと」述べている。
 インターネット上の通信で、最もよく知られているのが、ワールド・ワイド・ウェブである。ウェブは、世界中の異なったコンピュータに蓄積されている、膨大な数のドキュメントからなり、それらは、単に情報を集めたものから、ウェブ・ページとして一般に知られている、より精巧なドキュメントが、今日では一般的である。そのそれぞれは、電話番号のようなアドレスを有し、情報を含んでおり、時にはそのページ又は「サイト(site's)」の作者と通信することができ、また、他のサイトへの「リンク(links)」を含んでいる。リンクは、青や下線文字のどちらかが一般的で、画像の場合もある。
 ウェブは、アドレスを打ち込んで直接訪れるか、「検索機械」(search engine)に、1又はそれ以上のキーワードを打ち込むことにより、その場所を探して見ることができる。
 インターネットへと、コンピュータを接続している、個人又は団体はいかなるものでも、情報を「公表」することができるのである。

明らかに性的な素材 
 インターネット上における明らかに性的な素材とは、文章、写真、会話から、露骨な性描写までを含む。これらのファイルは、性的でないものと同様の方法で、作成され、送られ、そして、自ら意図的に、又は不正確な検索の過程で意図せずアクセスすることとなるのである。情報発信者が、一度インターネット上へその内容を流すと、いかなる地域においても、その情報の流入を防ぐことはできないのである。例えば、UCRカリフォルニア写真博物館が、エドワード・ウエストンやロバート・メイプルソープの撮影したヌード写真を、ボルティモアやニューヨークで新たに展示することを発表するために、インターネット上に流した場合、それらの画像は、ロスアンジェルス州ボルティモアやニューヨークにとどまらず、シンシナティ、モービル、さらには北京など、インターネットの利用者がいるところはどこでも、見ることができるのである。
 そのような素材は、どこでも見ることができるため、利用者は時として、思わずそのような内容に出くわす場合もあるのである。
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判旨及び解説
 被告である政府が、CDAの合憲性主張の根拠としてあげた諸判例は、CDAの合憲性を支持する根拠とはなり得ないとした。その理由は、CDAが、子供が禁止されている素材を使用するのに両親が同意することを認めておらず、商業契約に限定しておらず、「品位に欠ける」という文言の定義をせず、「明らかに不快な」という文言の用件を省略し、言論の内容に基づいた包括的制限であるため、時、場所、そして手段の形による制限を当てはめることができないことから、一連の判例において支持されてきた法律や命令とは異なるものであるということ。そして、放送メディアの規制を正当化した一連の判例において認識されてきた特定の諸要素は、サイバースペースには存在しないことを指摘し、よって、一連の諸判例は、インターネットに適用すべき修正第1条の基準を述べる際の基礎とはならず、諸判例を当てはめることはできないとしたのである。
 「品位に欠ける」及び「明らかに不快な」という文言については、定義のされていない用語を用いることは、2つの基準の相関関係及びその意味するところに対する不確定さを引き起こすこととなると述べ、そのような、内容に基づいた(content-based)規制が、曖昧であることは、表現の自由に対する明白な冷却効果であることから、修正第1条にとっては重大な関心を引き起こすものであるとした。「明らかに不快な」という基準は、ミラー事件(Miller v. California, 413 U.S.15,24.)において述べられた、3区分の猥褻基準(three-prong obscenity test)の、2番目の部分の繰り返しであるという事実からも、CDAはその曖昧さを克服してはいないとし、一方、ミラー事件における2番目の区分は、当該州法によって禁止される素材を明確に定義することにより、「明らかに不快な」という文言に内在する曖昧さを、減らしていると指摘した。さらに、CDAは、「性的な行為」にのみ適用されるものであるが、実際のところその規定は、性的及び排泄的性質の両者を兼ね備える「排泄行為」及び「その器官」にまでその範囲を拡大しており、そのようなCDAの曖昧さは、潜在的に有害な素材から、未成年者を保護しようとしている議会の目的の成功を損なうものであるとしている。
 法律が言論の内容を規制する際には、修正第1条の要求に対して緻密な規制を行うべきであるという点については、CDAはその緻密さに欠けており、LRAが、同法の合法的な目的を成就する際に少なくとも効果的であるとしても、CDAの、大人の言論に対する負担は、受け入れられるものではないと述べている。
 一方、現在利用者が使用することのできるソフトを使用して、両親が、不適切であると判断した素材に、子供が接続できないようにすることができるという、合理的で効果的な方法が、広く用いられることになるであろうとしている。さらに、可能性のある代替手段について言及しているが、それは、品位に欠ける素材に「標識(tag)」をつけることにより、両親が容易にコントロールすることができるようにし、芸術又は教育的価値のある通信と区別し、両親の選択に対して一定の寛容さを与え、そして、インターネット上のポルノを、他と区別して規制しようとするものである。
 政府による、CDAの積極的な規定を支持する弁論は退けられた。
 その理由は、
(1)通信品位法は、通信の「代替チャンネル(alternative channels)」を十分残しているため、合憲であるという点については、CDAが、その内容に基づいて言論を規制するため、「時、場所そして方法」による分析を適用することができないことから、説得力のある主張とは言えない。
(2)CDAの規定の、「識別」及び「特定の人物」の用件は、18歳以下と認識しながら送信する者の通信の許容範囲を、かなり制限するものであり、擁護することはできない。なぜなら、大部分のインターネットのフォーラムは、すべての者に公開されており、「特定の人物」の用件を定める強力な文言は、品位に欠けるあらゆる言論に対する、「不当な干渉(heckler's veto)」という形で、広範な検閲の権限を与えることになりかねないからである。
(3)科学、教育、その他社会的価値を正当化するものが、CDAの禁止する範囲外にあるという文言がないこと。
の、3点である。
 18歳以上の成人であることを、識別することによって、成人の言論に対する不当な重荷にはならないとする主張については、商業プロバイダの中には、明らかに性的な素材に対して、そのような識別を行っているところもあるが、非営利的情報発信者にとっては、そのような識別を行うことは、経済的に不可能であるため、実効性がないとした。
 最後に、子供を保護する利益に加え、インターネットの発展を促進するための「同様に重要な」利益が、CDAの合憲性を支える独立した論拠となりうるとの主張は、まったく説得力に欠けるものであると述べ、政府による言論内容に対する規制は、自由な意見交換を助長するというよりも、むしろそれを妨げるものであると結論づけ、民主主義社会において、表現の自由を促進する利益は、理論的ではあるがその利益が証明されていない検閲の利益に、勝るものであるとした。

 


解説

 本件において問題となった法律は、1996年に改正された連邦通信法の中の、第5章の通信品位法である。法律の制定目的は、インターネット上における有害な素材から、未成年者を保護することが目的であるとされ、第472巻第223条(a)(1)(B)(U)は、18歳未満の者に対して「故意」に「猥褻(obscene)な又は品位に欠ける(indecent)」通信を行うことを、犯罪行為であるとし、223条(d)は、「現在の社会基準に照らし合わせて、その内容が明らかに不快である表現で、性的な又は排泄の、行為又はその器官を、描写又は記述」した通信を、18歳未満の者に対して、「故意に」送信又は表示することを、禁じた。
 そこで、原告であるアメリカ市民自由連合(ACLU)は、第223条(a)及び第223条(d)は、違憲であるとして訴訟を提起しました。連邦地裁の3名の判事は、同法施行の緊急差止命令(TRO)を出し、そのため合衆国政府は、通信品位法の規定が、その広範さ及び曖昧さにより、修正第1条(表現の自由の保障)及び修正第5条(適正な手続きの保障)を侵害するものであるとした判決は誤りであるとして、連邦最高裁に上告した。

 判決は、通信品位法の「品位に欠ける通信(indecent transmission)」及び「明らかに不快な表示(patently offensive display)」という規定は、修正第1条により保護される「表現の自由」を侵害するものであり、連邦地裁が指摘した、修正第5条デュー・プロセス条項違反については、通信品位法の規定は、修正第1条に照らし合わせて、明らかに曖昧な規定ではあるが、修正第5条にまで及ぶ問題ではないとし、法廷意見では、被告である政府の主張はことごとく退けられた。
 まず、政府は、CDAの合憲性主張の根拠として幾つかの判例をあげ、それら諸判例は、CDAの合憲性を支持する根拠とはなり得ないとした。その理由は、CDAが、子供が禁止されている素材を使用するのに両親が同意することを認めておらず、商業契約に限定しておらず、「品位に欠ける」「明らかに不快な」という文言の定義をせず、言論の内容に基づいた包括的制限であるため、時、場所、そして手段を明確にした制限を当てはめることができないことから、一連の判例において支持されてきた法律や命令とは異なるものであり、そして、放送メディアの規制を正当化した一連の判例において認識されてきた特定の諸要素は、サイバースペースには存在しないことを指摘し、よって、一連の諸判例は、インターネットに適用すべき修正第1条の基準を述べる際の基礎とはならず、諸判例を当てはめることはできないとした。
 「品位に欠ける」及び「明らかに不快な」という文言については、定義のされていない用語を用いることは、2つの基準の相関関係及びその意味するところに対する不確定さを引き起こすこととなると述べ、そのような、内容に基づいた規制が、曖昧であることは、表現の自由に対する明白な冷却効果であることから、修正第1条にとっては重大な関心を引き起こすものであるとした。

「明らかに不快な」という基準は、ミラー事件(Miller v. California, 413 U.S.15,24.)において述べられた、3区分の猥褻基準の、2番目の部分の繰り返しであるという事実からも、CDAはその曖昧さを克服してはいないとし、一方、ミラー事件における2番目の区分は、当該州法によって禁止される素材を明確に定義することにより、「明らかに不快な」という文言に内在する曖昧さを、減らしていると指摘している。さらに、CDAは、「性的な行為」にのみ適用されるものであるが、実際のところその規定は、性的及び排泄的性質の両者を兼ね備える「排泄行為」及び「その器官」にまでその範囲を拡大しており、そのようなCDAの曖昧さは、潜在的に有害な素材から、未成年者を保護しようとしている議会の目的の成功を損なうものであるとした。

 法律が言論の内容を規制する際には、修正第1条の要求に対して緻密な規制を行うべきであるという点については、CDAはその緻密さに欠けており、より制限の少ない代替手段が、同法の合法的な目的を成就する際に少なくとも効果的であるとしても、CDAの、成人の言論に対する負担は、受け入れられるものではないと述べた。そこで、述べられているより制限の少ない代替手段とは、現在使用することのできるフィルター・ソフトを使用して、両親が、不適切であると判断した素材に、子供が接続できないようにすることができるという方法と、品位に欠けるとされる素材に「標識」をつけることにより、両親が容易にコントロールすることができるようにし、芸術又は教育的価値のある通信と区別し、両親の選択に対して一定の寛容さを与え、そして、インターネット上のポルノを、他と区別して規制しようとするものである。

 18歳以上の成人であることを、識別することによって、成人の言論に対する不当な負担にはならないとする主張については、商業プロバイダの中には、明らかに性的な素材に対して、そのような識別を行っているところもあるが、非営利的情報発信者にとっては、そのような識別を行うことは、経済的に不可能であるため、実効性がないとした。
 最後に、子供を保護する利益に加え、インターネットの発展を促進するための「同様に重要な」利益が、CDAの合憲性を支える独立した論拠となりうるとの主張は、まったく説得力に欠けるものであると述べ、政府による言論内容に対する規制は、自由な意見交換を助長するというよりも、むしろそれを妨げるものであると結論づけ、民主主義社会において、表現の自由を促進する利益は、理論上効果があるとされているが、それが証明されていない検閲の効果に、勝るものであると締めくくっている。

最後に、本判決においては、その規定が曖昧であるが故に、表現の自由を侵害するものであるとされたが、ミラー事件を引用し、規制対象物を明確に規定すれば、その文言に内在する曖昧性が減少すると指摘している。つまり、規定の仕方如何によっては、規制することも可能であると考えることもできる。


 

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