U プライバシ−の権利の承認 
 
  (1)学説によるプライバシ−の権利の承認

 1890年、ハーバード・ロー・レビュー第4巻第5号に、二人の法律家の連名で一つの論文が発表された。その論文は「The Right to Privacy」と題され、初めてプライバシ−の権利について論じたのであった。著者はSamuel D.WarrenとLouis D.Brandeis(2)の二人である。マサチュ−セッツ州ボストンに暮らすウォ−レンは、本論文の執筆の1年ほど前に家業を継ぐため弁護士をめ、裕福な青年実業家として製紙業を営んでいた。彼の妻はデラウェア州上院議員の娘であり、上流階級に属し、そのような事情から彼女は自宅で手の込んだ数々のパ−ティ−を開いていた。折しもこの時期は、イエロ−ジャ−ナリズムが横行していた時期であり、ボストンの新聞各紙はウォ−レン夫人の開いたパ−ティ−について非常に個人的で他人に知られたくないような事柄まで、こと細かに書き立てたのであった。さらに、娘の結婚式についてもおおいに書き立てるに至ってウオ−レン夫人は苛立ちをつのらせるという次第であった。(3)
 さらに、ウォ−レン・ブランダイス自身の記述では、「最近の諸々の発明や企業のやり方は、個人の保護、そしてク−リ−判事が“ひとりで居させてもらう(to be let alone)”権利と称したものを個人に保障するために取られなくてはならない次なる段階への注意を換気している。スナップ写真そして新聞は、私生活や家庭生活の神聖な領域を侵している。そして機械装置が、『私室で世間に流布される』という予言を達成してしまいそうである。長年に渡り、私人の肖像が、正式に許可されずに流布しているという事態に対し、法は何らかの救済を与えなくてはならないと考えられてきた。新聞によるプライバシ−の侵害の弊害が、長い間痛烈に感じられてきた。」と述べている。(4) 
 以上のような背景から、ウォ−レンはかつて彼がいた法律事務所の同僚であったブランダイスと、ジャ−ナリズムによる私生活や家庭生活の神聖な領域への介入に対して、個人を保護する権利としてのプライバシ−の権利に関する論文の執筆を始めたのである。しかし、証拠方法の様式や、おそらく当時の状況からしてその執筆と研究の大部分はブランダイスが行なったと思われるが、二人による共同の労作であることに疑いの余地はないと思われるのである。(5)
 そして、1890年7月にニュ−ヨ−クで起きた、役柄のためにタイツ姿のまま登場しなければならなかった原告の姿を無断で写真撮影した被告に対して、その写真の差止請求を裁判所に、被告が出廷しなかったため差止命令が確定したという“Marion Manola v.Stevens &Myers”事件(6)を契機にしてウォ−レン・ブランダイスの論文が発表された。
 以上のように、当時は他人の私生活上の秘密や問題などを好んで取り上げるイエロ−ジャ−ナリズムが横行し始めた時期であり、現実に被害を受ける人も現れ始め、その中の一人がウオ−レン夫人であった。
 プライバシ−の権利を論じるにあたって最初の、そして、画期的ともいえるこの論文の背景には、執筆者の個人的な体験があったことは間違いないと思われるのである。
 

  (2)判例によるプライバシ−の権利の承認

 アメリカにおけるプライバシ−の権利の生成段階において、最初に裁判所でプライバシ−の権利が問題になった事例とされているのは、“Roberson v.Rochester Folding Box Co. 171N.Y.538,64N.E.442(1902)”事件判決である(以下、ロバ−ソン事件)。結果から先に述べると、判決では原告の請求は棄却され、プライバシ−の権利は認められなかった。しかし、この訴訟はプライバシ−の権利に対する世論や議会の関心を集め、その後の立法や、プライバシ−訴訟へ大きな影響を与えたことは間違いないといえる。
 事件の概要は、「この訴訟における被告の一人であるFranklin Mills Company(製粉会社)はRochester Folding Box Co.から、二万五千枚の石版画(リトグラフ)を購入し、小売店、倉庫、酒場、その他の公の場所へ広範囲に頒布した。被告は無断で原告の肖像を複写し、上部には『家族の小麦粉』という宣伝文句を印刷し、下部には大きな大文字で『Franklin Mills Company』
という文字が印刷され、下部右端には被告であるRochester Folding Box Co.の社名が印刷されていた。これらの印刷物が一般に出回った結果として、原告の女性は『自分の顔に気が付いた人々から冷やかしや嘲りを受け、大いに恥をかきこの広告に写真や名前が出たことにより、身体と精神に多大なる苦痛と被害を被った。以上のような事実から病気になり、精神的に深刻なショックを受け、行動はベッドの周りに制限されることを余儀なくされ、医師にかからざるを得なくなった。』と主張した。
 原告は、自らの肖像が無断で宣伝のために使用されたことにより、精神的苦痛を受けたとし、損害賠償として1万5千ドルを請求し、被告に対してはいかなる形態においても原告の肖像を発行又は頒布することを禁ずるよう命じる要求をした。裁判では、原告の精神的苦痛という損害に対して賠償すべきかどうかという点が問題となった。(7)
ニュ−ヨ−ク州最高裁判所の判決では、四対三で原告の請求は棄却された。
 判決では、「ウォ−レン・ブランダイスによるプライバシ−の権利の定義を否定し、プライバシ−の権利は存在せず、そして、原告は以上のようないかなる行為に対しても保護される権利はないと判示したのである。提示された理由は、先例の不足、損害の特質がまったく精神的なものであること、今後予期される膨大な量の訴訟、公の形態のものと私的な形態のものとを区別することの困難さ、出版の自由が過度の制約を受けることへの懸念であった。」(8)
 この判決においてプライバシ−の権利は否定された。しかし、ニュ−ヨ−ク州議会はこの訴訟の後、法律を制定したのである。(法律によるプライバシ−の権利の承認を参照)
 ロバ−ソン事件判決の三年後、ジョ−ジア州は、“Pavesich v.New England Life Insurance Co. 122 Ga.190,50 S.E.68(1905)”事件判決(以下ペイブジック事件)において、プライバシ−の権利を始めて承認し、この判決は後のプライバシ−訴訟において大きな役割を果たすこととなる。
 事実の概要は、「原告のペイブジックは、保険会社が無断で新聞広告に自分の写真を使用したことに対して訴えを起こした。また、その広告では彼の写真を粗末な服装で弱々しく見える男性の隣に掲載した。」(9)というものである。保険会社は保険に加入した人と、加入する機会を逃した人とを対して宣伝する目的で、以上のような広告を作成したのである。
 ジョ−ジア州最高裁判所はニュ−ヨ−ク州最高裁判所とは対照的に、原告のプライバシ−は真に侵害されていたという理由で、原告に有利な判決を下し、損害賠償を認めたのである。(10)
 本判決ではプライバシ−を自然権として承認し、ニュ−ヨ−ク州における裁判では認められなかったウォ−レン・ブランダイスの考えを多く取り入れ、プライバシ−の権利を一つの法的権利としてその存在を承認したのである。本判決はリ−ディング・ケ−スとなり、その後のプライバシ−訴訟においても本判決の見解は優位を占めている。
 プライバシ−の権利は、不法行為法上の権利として承認されるに至り、その後は憲法上の権利としてその存在が問われることとなるのである。(11)

  (3)法律によるプライバシ−の権利の承認

 ロバ−ソン事件においてはプライバシ−の権利は承認されなかったが、この判決に対する様々な反応は非常に早く、そして激しいものであった。この訴訟の直後は、パ−カ−裁判長の法廷意見に同意した判示の中の一人であるオブライエン判事が、判決を弁護するために法律雑誌(12)を出版するという前例のない手段をとったので、この判決に対して激しい世論の批判が起こったのである。また、世論のみならず、新聞業界もこの判決に対して激しい批判を行なったのである。このような状況の中、プライバシ−の保護に対して議会が反応したのである。
 ロバ−ソン事件の翌年の1903年、ニュ−ヨ−ク州議会はプライバシ−の権利を制定法により認めたのである。(13)

第1条・プライバシ−の権利
 個人、企業(firm)、法人(corporation)が、現在生存している人物の、氏名・肖像・写真を、その人物(未成年者である場合には両親又は後見人)の書面による同意を得ずに、広告又は商業目的で使用することは、軽罪である。(14)
第2条・差止命令請求及び損害賠償請求訴訟
 前条において規定されている書面による同意を得ずに、氏名・肖像・写真をニュ−ヨ−ク州内において広告又は商業目的で使用された者は、それらを使用した個人、企業、法人に対して、氏名・肖像・写真の差止及び使用禁止を請求するために、エクイティ上の訴訟をニュ−ヨ−ク州最高裁判所に提起することができる。・・・ (15)

プロッサ−教授は「この法律そのものが、権利の範囲を限定しているということを除けば、ニュ−ヨ−クにおける決定は、すでに他州において成り立ってきたコモンロ−とまったく一致するものであり、そして、国内のあらゆるプライバシ−訴訟において習慣的に引用されているのである。」(16)と述べているが、ニュ−ヨ−ク州におけるプライバシ−訴訟には、この法律を適用した判例が数多く現れることとなる。


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