合衆国憲法上のプライバシーの権利(1)

- 「実体的デュー・プロセス理論」を中心に -

新保 史生


 はじめに

 1890年に、ウォ−レン・ブランダイスの論文(1)によりプライバシ−の権利が、はじめて一つの権利としてその存在を明らかにして以来、プライバシ−の権利は不法行為法上の権利として承認され、また発展してきた。当初は、私生活上の利益の保護が、プライバシ−の権利の保護法益の中心であった。ゆえに、その権利性も消極的なもの、つまり、「ひとりで居させてもらう権利」などの権利概念において表現されるような、他者からの干渉から自由であるといった側面が、この権利の中心であったといえよう。
 しかし、私法上の権利としてその地位が確立しても、公権力によるプライバシ−の侵害事例へ対処するとなると、問題が生じてくるのは当然のことと言えよう。
 さらに、情報化社会において国家が収集・蓄積・利用する個人情報は膨大であり、その蓄積や利用の方法によってはプライバシ−の侵害に関して国家は最大の脅威であるともいえる。
 プライバシ−の権利が私的な生活状態における利益の保護のみを目的としている限り、プロッサ−の四類型(2)の第一類型(私生活への侵入)においてもプライバシ−の侵害行為として触れられているような盗聴など、明らかに私的な生活状態への侵入行為がある場合を除いて、国家による個人情報の収集・蓄積・利用に対してプライバシ−の権利を主張することは困難であると言えよう。 
 「ひとりで居させてもらう」権利と定義されるプライバシ−の権利をはじめとする、いわゆる古典的なプライバシ−の権利は、公権力との関係におけるプライバシ−の保護という問題に対処する際には、問題が非常に多いと考えられる。
 そこで、本稿では憲法上のプライバシ−の権利について考察していきたいと思う。また、わが国においてはこの問題に関して論じるための素材が十分とはいえないため、合衆国憲法下を中心に論じていきたい。


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