第3章 プライバシ−の権利の保障手段としての「実体的デュ−・プロセス理論」
 
   1.「実体的デュ−・プロセス理論」の復活 ━ ロ−対ウェイド事件を中心に ━
            
 
    (a)ロー判決の主な論点
 
 プライバシ−の権利を保障するために、「実体的デュ−・プロセス理論」を用いる兆しはすでに述べたとおりである。そして1973年、連邦最高裁は、修正第14条のデュ−・プロセス条項によってプライバシ−の権利が保障されるとしたのである。それが、有名なロー対ウェイド事件(44)である。(以下ロー事件とする。)
 ロー事件は、プライバシ−の権利を保障するため「実体的デュ−・プロセス理論」を復活させた判決であると同時に、始めて中絶(abortion)の権利を承認した判決である。また、今日のアメリカにおける中絶論争の起源ともなった判決といえよう。
 ロー事件は、中絶を禁止するテキサス州刑法は違憲であるとする、宣言的判決を求めて争われた事件である。
 まず始めに、本判決の主要な論点について触れておくこととする。尚、妊娠を第1期から第3期に分け、それぞれの段階における中絶の規制に関して述べている点(trimester analytical structure)については、省略した。

1.「憲法上明白に規定されてはいないが、プライバシ−の権利は修正第14条のデュ−・プロセス条項(Due Process Clause)により、保障されている。」(45)
2.「この権利は『妊娠を終わらせるかどうかを決定する、女性の権利を十分に含むものである』」(46)
3.「中絶の権利は『基本的な権利』であり、それゆえに、この権利は『やむにやまれない州の利益compelling state interest)』に基づいてのみ、規制されうるのである。」(47)          4.「州は二つの『重要な、そして正当な』利益を有している。一つ目は、母体の健康を保護すること、二つ目は、胎児の生命(潜在的な生命)を保護することである。」(48)
 

   (b)ブラックマン判事の法廷意見

 法廷意見を執筆したブラックマン判事は、「憲法は、いかなるプライバシ−の権利についても明文で規定はしていない。」(49)と述べたうえで、特定の憲法上の保障に依拠した多数の判決を引用することによって、プライバシ−の権利を憲法上保障された権利であるとしたのである。
 それら、特定の憲法上の保障に依拠した判決としては、次のような判決を引用している。
・修正第1条については、スタンリー事件(50)(わいせつ物の私的所持)。
・修正第4条及び修正第5条については、テリー事件(51)(職務質問における所持品検査)、カッツ事件(52)(盗聴(bugging))、ボイド事件(53)、およびオルムステッド事件(54)(電話盗聴(wire-tapping))におけるブランダイス判事の反対意見。
・権利章典の半影(penumbras)及び修正第9条については、グリズウォルド事件(前章参照)。
・修正第14条第1節が保障する自由の概念については、メイヤー事件。(55)              以上の判決から、ブラックマン判事は、「『基本的』または『制約を伴った自由権の概念に暗に含まれている』個人的権利のみが、個人のプライバシ−の保障に含まれることを、明らかにしている」(56)と考えたのである。つまり、これらの判決は特定の保障とともに、黙示的なプライバシ−の権利をも同時に承認していると主張したのである。
 以上から、法廷意見はプライバシ−の権利の根拠として、3つの可能性をあげていることがわかる。
 修正第1条、修正第4条及び修正第5条などの権利章典の各条項によって形成される「権利章典の半影」、「修正第9条」、そして、「修正第14条デュ−・プロセス条項の『自由』の概念」である。
 そして、裁判所の見解は、修正第14条のデュ−・プロセス条項をプライバシ−の権利の根拠と考えている。(57)
 さらに、これらの判決からプライバシ−の権利が、結婚(ラヴィング事件(58) )、生殖(スキナー事件(59))、避妊(アイゼンスタッド事件(60) )、家族関係(プリンス事件(61) )、子供の養育及び教育(ピアース事件(62))、などの個人的権利にまでおよぶことを、明らかにしていると、ブラックマン判事は主張している。
 そして、ロー事件において問題とされている中絶の権利については、「われわれが考えているように、プライバシ−の権利が、修正第14条の個人の自由の概念及び州の行為に対する制約に根拠づけられているとしても、地裁判決のように、修正第9条における人民の保有する権利であるとしても、それは、女性が妊娠を終わらせるかどうかを決定する権利を、十分に含むものである。」(63)としたのである。
 しかし、これらの権利は、個人の私生活の一定領域における自律性を承認したものであると捉えることもできよう。このことは、既に述べたように、プライバシ−の権利ではなく、人格的自律権として認識すべきであるとする議論に結びつくのである。
 また、ブラックマン判事は、これらの個人的権利がプライバシ−の権利に含まれる権利であると主張してはいるものの、「なぜそのような権利が存在するのか、なんら説明していない」(64)との指摘にもみられるように、これらの個人的権利が一つの法的権利として承認されていない権利であるがゆえに、それらを保障するための根拠が明確ではないため、これらの権利と関連性があると考えることのできるプライバシ−の権利に含まれるものであると、主張せざるを得なかったと考えることもできないだろうか。
 プライバシ−の権利が、以上のような個人的権利にまで及ぶとしたことは、「グリズウォルド事件に比べると格段の発展があることを評価すべきである」(65)とはいえるものの、一方では、その範囲をさらに拡大させてしまったことにより、プライバシ−の権利の保障範囲の曖昧さを、助長してしまったともいえないだろうか。
 次に、ブラックマン判事が引用した、多数の判決についてであるが、「引用された様々な判決は、ロー事件への直接的な先例であると考えられないことは明らかであり」(66) 、ここで引用されている様々な判決は、ロー事件で問題となっている中絶の権利、そして、それを含むとされるプライバシ−の権利と直接関係はしてはいない。
 例えば、異人種間の結婚を禁止している州法を違憲としたラヴィング事件は、プライバシ−の権利が結婚と関係するものであることを示すために引用されたが、本件においては平等保護条項がその基礎であるし、ある種の犯罪において強制的に断種を行うことを定めていた州法を違憲としたスキナー事件は、プライバシ−の権利が生殖と関係するものであることを示すために引用されたが、本件も同様に、明示的には平等保護条項をその根拠としているのである。
 引用された判決のなかで、当然ロー事件の直接的な先例ではないことはいうまでもないが、プライバシ−の権利に関する先例と考えられるものは、権利章典の特定の規定を直接的にその根拠としていないグリズウォルド事件と、アイゼンスタッド事件だけであると考えられるのではないだろうか。

    (c)その他の判事の見解
 
 法廷意見においては、修正第14条デュ−・プロセス条項の「自由」の概念を用いた、いわゆる「実体的デュ−・プロセス理論」によって、中絶の権利がプライバシ−の権利に含まれるものであるとした。では、他の判事はどのように考えていたのか、最後に、ロー事件における他の判事の見解について概観したい。
 法廷意見に同意したのは、バーガー(Warren E.Burger)、ダグラス及びステュアート(Potter Stewart)の3名の判事である。
 一方、ホワイト(Byron R.White)、レーンキスト(William H.Rehnquist)の両判事が、反対意見を執筆した。
 まず始めに、ダグラス判事の同意意見についてである。彼は、グリズウォルド事件において、法廷意見を執筆した判事であるが、ロー事件においても「実体的デュ−・プロセス」の概念に依拠することを、欲していなかったことは明白であり、 再び彼は、権利章典の各条項がプライバシ−の権利を創造すると主張した。(67)
 ステュアート判事もまた法廷意見に同意した。しかし、彼はグリズウォルド事件においては、反対の立場をとっていた。では、どのような理由から、ロー事件において彼は法廷意見に同意したのであろうか。その点について、彼は次のように述べている。
 まず、グリズウォルド判決に同意することができなかった理由は、「コネティカット州法は、権利章典のいかなる規定も、憲法の他のいかなる規定にも反していない」(68)ということ、そして、「憲法上プライバシ−の権利は存在しないと考える」(69)という理由からであると述べている。なお、憲法上プライバシ−の権利が存在しないという見解をとる理由について、「修正条項〔例えば、修正第4条〕は、政府のある種の侵入に対して個人のプライバシ−の権利を保護しているが、その保護はそれ以上のものであり、プライバシー保護になんの役にも立たない場合もある」(70)と脚注において説明を加えている。
 そして、ロー判決に同意したのは、「コネティカット州法は、デュ−・プロセス条項によって保護される『自由』を、実体的に侵害すると考えた場合にのみ、グリズウォルド事件は合理的に理解しうる」(71)と述べているのである。
 このことから、ステュアート判事は、「実体的デュ−・プロセス理論」によってのみ、プライバシ−の権利を説明しうるという見解をとっていることがわかり、同じく法廷意見に同意したが、「実体的デュ−・プロセス理論」に依拠しない立場をとったダグラス判事とは、対照的であることがわかる。
 次に、法廷意見に反対したホワイトとレーンキストの2名の判事のほ見解についてである。
 レーンキスト判事は、修正第14条のデュ−・プロセス条項の歴史的背景から、その正当性に疑問を呈しており、法廷意見の論拠を完全に否定した。
 そして、ホワイト判事であるが、彼はグリズウォルド事件においては法廷意見に同意した判事である。ステュアート判事がとった立場とは逆の展開であることがわかるが、ステュアート判事が憲法上のプライバシ−の権利の存在に関して否定的であったのに対し、ホワイト判事は、明らかに憲法上のプライバシ−の権利の存在は確信している。 しかし、彼は、プライバシ−の権利が中絶の権利にまで及ぶものであるとは、考えなかったのである。(72)この見解は、プライバシ−の権利の範囲拡大に対する、警鐘とも受け取れるのではないだろうか。


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